
花王で16年にわたりマーケターとして活躍されている向縄一太さん。家庭の定番アイテム「アタック」や「エマール」、「ハミング」、「マジックリン」などのブランドを歴任されてきました。そんな彼が考えるマーケティング論について、過去のご経験を交えながら伺いました。

金融業界志望からマーケターに方向転換
福田:まずはご経歴を教えてください。
向縄 一太氏(以下、向縄氏):私が花王に入社して、今年(2019年)で16年目になります。入社以来ずっとマーケティング業務に携わってきました。最初の10年は国内のマーケティング担当として、家庭用洗剤の「アタック」や「エマール」、柔軟剤の「ハミング」のブランドマーケティングを担当していました。その後は1年間、マーケティングのトレーニーとしてタイに赴任しました。帰国してから今5年目になります。
福田:タイではどんな商品のマーケティングをされていたんですか。
向縄氏:国内で担当していたブランドと同じく、タイでも「アタック」を担当しました。帰国後より、海外のホームケア部門で「マジックリン」を担当しています。ヘッドクォーターとして、マジックリンブランドを介して、「日本の衛生文化」を広めることで、アジアのお客様の清潔な生活に取り組んでいます。
福田:マーケティングに出会ったきっかけは?
向縄氏:マーケティングに出会ったのは、実は就職活動の時です。最初はマーケティングに興味がないどころか、ほとんど知らなかったんですよ。就職活動をしていた当初は金融業界志望で、インターンにも積極的に行っていました。何社か内定もいただきましたが、ある企業のセミナーで初めてマーケティングという職種を知ったんです。
当時、金融業界に身を置いて経済の最先端に立ち、そこでどう成長していくかに価値を感じていました。ただ自分が成長することしか見えていない部分ありました。でも日用品のマーケティングという世界を知って、日常をもっと幸せにする手伝いができるのはないかと気づき、「これは面白い!」と就活の方向転換をしたんです。その結果入社したのが花王です。
マーケティングは実践学
福田:今までさまざまなマーケティングプロセスに携わってこられたかと思います。向縄さんにとって、マーケティングとはどんなものですか?
向縄氏:私が考えるマーケティングとは、「お客様の満足度を高める行為」だと定義づけています。入社時よりお客様第一だと教えられてきましたが、、心からその考えに至るまでに、3つの段階を踏んできました。まず1つ目は「競争型マーケティング」。2つ目が「顧客志向型マーケティング」、3つ目は「パーパス型マーケティング」です。今は3つ目の段階に自分の意識は変わってきています。
福田:それぞれのステップは、具体的にどのような違いがあるんですか。
向縄氏:簡単に言うと、意識する対象が違います。ステップ1の競争マーケティングは、カテゴリーもレッドオーシャンであり、お客様を見ているようで、競合を見て、どう競争に勝つかのブランドのポジショニングに集中してしまっていました。もちろん、上司や先輩方はそんなことはなかったと思いますが。ステップ2の「顧客思考型マーケティング」は、お助けしたい、お役に立ちたいお客様を真摯に観察し、インサイトを発掘し、お役に立てる価値を見つけ、提案すること。ステップ3の「パーパス型マーケティング」では、顧客を包含した社会にどう貢献するかについて意識してマーケティングするようになることです。最近よく言われていることかもしれませんが、本当に心の底から腹落ちしたのは、海外のビジネスを始めてからですね。
福田:向縄さんご自身は、どのようにマーケティングを学ばれたんですか?
向縄氏:有名なマーケティングの本も知識を得るために読みましたが、本だけ読んでいてもリアルな現場で何が起きていて、だからどう動けばいいのか、なかなか見えてきません。誰かに話を聞いても成功事例しか出てこず、どうすればマーケターとしてスキルを伸ばせるのか、暗中模索でした。当たり前ですが、書店で売られているマーケティングの本に書かれているのは、他社も入手できる知識ですよね。競合会社も持っている知識でどう戦っていくか、日々業務のプレッシャーと戦いながら追求してきました。競合が新商品を発売したら「こうきたか……」と思いつつ、「自分ならこうする」「こうしたらもっと面白いんじゃないか」と考え、実行してきました。
福田:「競争型マーケティング」がマーケティングの基盤ということですか。
向縄氏:それも基礎の1つです。でも、マーケティングの本質は、「顧客思考」だと思っています。マーケィングとは、シンプルにすると、誰に(WHO)、何を(WHAT)、どのように(HOW)を考え尽くし、顧客の満足度を高めていく行為です。
福田:その基礎にはお客様の声を聞くなど、細かいテクニックも含まれているんですか?
向縄氏:もちろん含まれます。というより、とても重要です。お客様の満足度を高めるためには、いかにお客様の声を聞き出すかもマーケターの重要なスキルだと考えています。そういった知識・手法は、本や過去の事例、フレームに当てはめながら「使いづらい」や「これは使いやすい」というのを試行錯誤し、習得してきました。
この16年間のマーケター生活の中で、数えきれないお客様とお話し、インサイトを掴もうとしてきました。海外の仕事を始めてからの5年間でも、300人以上のご家庭に家庭訪問し、インタビューしてきました。その際、インサイトを掘るだけでなく、その方のお家の家電、家具、壁紙の色、家族の写真や装飾、服装、靴、などを見て、この方は何を本当に求めているのだろうか? と生活まるごと見て、お客様を憑依するまで考え続けています。
机の上で考えられることもありますが、マーケティングを身につけるには実践あるのみ。実際にお客様に会って、話して、見て、感じて、初めて気づかされることがたくさんあります。私が今話したことは、先ほどお話した誰に(WHO)の部分ですが、同じく何を(WHAT)、どのように(HOW)でも同じく、数えられないくらいの実践があり、それによって成長してきました。私が思うに、マーケティング=実践学なので、実践した経験を積まない限り身につけられないと思っています。
福田:「マーケティング=実践学」って、ものすごく共感します。
向縄氏:マーケティングは学術論ではないんですよね。学術的な知識を持っているからといって優秀なマーケターというわけではないですし、泥臭く試行錯誤して実践があった上に成り立つものだと思っています。
社会を変えるマーケティングの力
福田:タイに駐在されていた頃のお話を伺えますか。
向縄氏:タイではマーケティング部署に籍を置いていました。タイは都心部から少し外れると衛生環境が良くない地域があり、現地の小学校を回って、お掃除クリーナーの普及活動をすることも。そういった活動を通して、衛生面での課題が多々あると気づきました。
帰国後はアジアのホームケア部門の担当になりました。担当している国は、中華圏やタイ、インドネシア、マレーシア、シンガポールなど7ヵ国。タイ駐在時、バスやトイレなどの水回りは、手にも刺激があり、臭いも強い塩酸クリーナーで掃除していたんですよ。さらに気候も暑い中、15~20分も汗水垂らしながら掃除している人を見て、どうにか楽にしてあげたいなと思ったのを思い出したんですよね。
福田:ピンポイントでその人を助けたいと思われたんですか。
向縄氏:助けたい、解決したい! と思いました。 今でもその方の顔を覚えています。また、おそらく同じような人がたくさんいるんだろうなと思ったんですね。彼女たちは大して汚れが落ちるわけではないのに、こんな刺激の強い洗剤で何十年も素手や裸足のまま掃除を続けていたんです。なぜなら、それしか市場になかったから。肌にも、臭いも、そして設備を壊さない洗剤があれば、もっとお掃除が楽に、快適になるのにと思いました。同じアジアでも、まだまだ貢献できることはたくさんある、貢献できる先がどんどん見えてきて。
福田:それは前述の競争型マーケティングとは違いますよね。
向縄氏:そうですね。この時に顧客の満足度を高める「顧客志向マーケティング」が、自分の中にリアルに入ってきました。売れるというのは、結局のところ消費者に評価されること。評価される=満足、喜んでもらえた結果なんです。2つ目のステップである「顧客志向マーケティング」に辿り着けたのは、タイでの経験があったからだと思います。解決してあげたいお客様の顔がハッキリ見えたからだと思います。
福田:これまでの経験を踏まえ、向縄さんがマーケティングで大切にされていることは何ですか。
向縄氏:日常の中にインサイトがあり、そのインサイトの積み重ねが社会になると考えています。1つひとつはミクロかもしれませんが、その積み重ねがマクロに、社会の変化になっていく――そのインサイトを捉え、そこに価値を提供することでミクロで変化が起き、結果マクロまで変えていく。実はこれがマーケティングの本当の醍醐味なのかもしれません。
自分の目の前の困っている人を助けていったら、それがどんどん拡大して社会まで変わっていく――私も最初から「社会のために」と考えていたわけではありませんが、3つの段階(競争型、顧客思考型、パーパス型マーケティング)を経たことで、それを理解できたと思います。
福田:やはりベースには「モノを売る」という基本スキルがあったからこそ、どんなモノを作るかのアイディアも生まれてきたんだなと思いました。
(聞き手:福田正義、執筆:内野奈々、編集:筒井智子、写真:小澤亮)